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山口地方裁判所 昭和34年(ワ)218号 判決

判  決

防府市大字同島本村九五〇番地の二

原告

上野竹之進

右訴訟代理弁護士

御園生忠男

鍋谷幾次

山口県吉敷郡小郡町大字下郷二二四四番地

被告

新光商事株式会社

右代表者代表取締役

関谷敏夫

右訴訟代理人弁護士

辻富太郎

右当事者間の頭書の事件につき当裁判所は次のとおり判決する。

主文

被告より原告に対する山口地方法務所属公証人森本盛衛作成昭和三四年第一、四二五号金銭消費貸借契約公正証書の執行力ある正本に基く強制執行はこれを許さない。

被告は原告に対し金七万円を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

本件につき昭和三四年九月一八日に当裁判所がなした強制執行停止決定を認可する。

前項に限り仮りに執行できる。

事実

原告訴訟代理人は主文第一ないし三項同旨の判決を求め、請求の原因として、

一、原告は昭和三四年六月二七日被告から別紙目録記載の物件(本件物件)を代金十八万円で買受け、内金七万円を即時支払い、内金一万円は被告と訴外河村政雄との間で決済することとし、残金十万円は、これを目的とする準消費貸借契約を締結し、これに基き請求趣旨記載の公正証書を作成せしめた。右公正証書には左記々載がある。

(イ)  被告は原告に対し昭和三四年六月二七日金十万円を弁済期昭和三四年八月一〇日、利息定めなし、遅延損害金として日歩一〇銭八厘を支払うこと、の約束で貸与したこと、

(ロ)  原告は本契約に基く金銭債務を履行しないときは直ちに強制執行を受けても異議なきこと、

(ハ)  その他、

二、しかるに、右物件は他の動産と共に訴外中尾忠孝において昭和三三年三月一日当時の所有者訴外河村政雄から買受け、その所有権を取得し、これを右河村に貸借していたものである。

三、更に右物件中ボイラー及び殺菌バツクは昭和三三年一二月一日訴外橋本三一が強制競売において競落によりその所有権を取得しているものである。

四、以上の次第で昭和三四年六月二七日原被告間の前記売買の際には右物件はいずれも被告の所有でなかつたものである。

そうすると本件物件が被告の所有であると信じて取引した原告の意志表示には法律行為の要素に錯誤があるといわねばならない。

五、仮りに要素の錯誤にあたらないとしても、被告は本件物件の所有権を取得して買主たる原告に移転することができない。

よつて原告は民法第五六一条に則り昭和三四年九月被告に対し本件売買契約を解除する旨の意思表示をした。仮りに然らずとしても、昭和三六年一二月二二日の本件口頭弁論期日において右解除の意思表示をした。

六、以上の次第で本件売買契約は初めから無効であるか、然らざれば解除により失効したのであるから、右契約に基き作成された本件公正証書も無効である。よつてその執行力の排除を求めると共に、右契約に基き被告に弁済した金七万円も支払うべき義務なくして支払つたものであるから、これか返還を求めるため本訴に及ぶ、

と述べ、

被告主張の債務引受の事実及び本件公正証書が右引受債務金を目的とする準備消費貸借契約証書であることはいずれも否認すると述べ、

立証(省略)

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、原被告間に原告主張の如き公正証書が作成されていることは認めるがその余の主張は争う。

右公正証書作成の経緯は左記のとおりである。

一、被告は原告の兄訴外河村政雄に対し昭和三三年四月一六日金一五万円を、利息年一割八分、毎月十二日払い、元金は同年五月一三日に金五万円、同年六月から同年一〇月まで毎月一三日に金二万円宛分割支払うこと、遅延利息は日歩九銭八厘の利率とすることという約束で貸与し、担保として同訴外人所有の本件物件の譲渡十八万円であつた。

二、原告は昭和三四年六月二七日右債務の内金十七万円の免責的債務引受をなし、内金七万円を直ちに弁済し、残金十万円の弁済期を同年八月一〇日と定めこれを目的として消費貸借契約を締結した。同年八月二〇日被告は右準備消費貸借契約の成立を証するため右契約の際原告から受取つておいた公正証書作成に関する委任状及び印鑑証明書を用いて本件公正証書を作成した。なお、残債務金一万円は同人から、同人の訴外松本某に対する金一万五千円の売掛金債権の取立を被告に委任することにより決済した。

三、ところで、右債務引受の際、原告は被告に対し、前記譲渡担保物件を被告から河村に返還するに当り、これを被告から原告に売り渡した形式をとつて貰いたいと懇請するので、被告は河村の同意を得た上、その旨の売渡証書を作成して交付した。そしてこの時、被告は右物件が河村によつて第三者に売り渡されていることは全然知らなかつたのであるが、今にして思うに、原告は河村の兄弟であるから、当時既にこのことを知悉していて、これが河村に返還されるならば、第三者に対抗できぬ破目に立ち至ることを慮つたからこそ、被告に頼んでこのような形式をとらせたに違いない。

四、叙上の次第で本件公正証書上の債務は原告の被告に対する前記引受債務を目的とする消費貸借上の債務であつて、売買代金債務を目的とするそれでないから、売買契約の意思表示の錯誤や瑕疵担保による解除を鳴らしてその効力をうんぬんするのは失当である、と述べ、

立証(省略)

理由

原被告間に原告主張の内容の金銭消費貸借契約公正証書(甲第三号証)が作成されていることは当事者間に争がなく、被告答弁一の事実は原告の明らかに争わないところである。

(証拠)を綜合すると、

一、原告は会社守衛として勤務しているものであり、昭和三三年一二月一七日ラムネ製造販売業を営む訴外河村政雄の妹を後妻に迎えたものであるが、その後本件売買の日時までに、右河村とは二、三度会つただけであつたこと、

二、本件物件は昭和三三年三月六日当時の所有者河村政雄から訴外中尾忠孝に担保のため譲渡され、同時に中尾から河村に賃貸し、占有改定により引渡がなされたこと、

三、その後昭和三三年四月一四日前記の如く被告が河村から右物件を担保のため譲受け、即日これを河村に使用貸し、占有改定による引渡しを受けたこと、

四、被告は昭和三四年六月二〇日頃河村の前記賃金債務不履行を理由に河村の許から本件物件を引揚げようとしたところ、橋本三一が前記ボイラー及び殺菌バツクにつき、所有権を主張して引渡を妨げたため、右両物件を引揚げることができなかつたこと、その際洗瓶他二、三点を引揚げただけで、その他の物件は引揚げなかつたこと、

五、右物件の内ボイラー及び殺菌バツクは最も値うちのあるものであるところ、右両物件は昭和三三年一一月一九日強制競売のため訴外橋本三一のため差押えられ、昭和三三年一二月一日右訴外人においてこれを競落し、同訴外人は昭和三五年末頃これを河村の許から持去つたこと。

六、本件取引が売買であるが債務引受であるかはともかくとして、その折衝の際、被告は原告に対し、ボイラー及び殺菌バツクの所有権の帰属につき右の紛争のあつたことを告げなかつたこと。

を認めることができる。

右事実に(証拠)並びに弁論の全趣旨(被告が河村から担保として譲渡を受けていた本件物件を、後記の如く契約成立と同時に原告に引渡しているのにかかわらず、本件証拠上これに代る担保を原告から提供させた事実若しくは原告の資産及び信用状態につき調査した事実の見当らないこと、)を綜合して考察すると。

七、河村は前記の如く、昭和三四年六月二〇日頃被告から賃借中の本件物件の一部を被告に引揚げられたので、同月二四日頃、原告に助力を求め、二人で被告会社に赴いたが、被告会社の藤津専務は、河村とは交渉の余地なしとして同人を退出させ原告に対し河村と被告間の「譲渡担保附消費貸借公正証書」(乙第二号証)を示し、本件物件が既に被告の所有に帰しているものであり、原告がこれを十八万円で買取るならば格別、それ以外の交渉には応じないという強硬な態度であつたこと、原告はほかならぬ妻の兄のためであり、折から清涼飲料水のシーズンに向う季節であつたので、同月二七日河村を同行して再び被告会社に至り前記価格で買受け、その引渡を受けたこと、(被告の引揚げていたものは、その引渡を受けた上河村に貸与し、河村の手許にあつたものは、指図による占有移転をしたものと認められる。)

八、原告は右代金の内金七万円を即金で支払い、内金十万円はこれを目的とする消費貸借契約を締結し支払期限を同年八月一〇日と定め、これにつき有り合せの連帯借用証(乙第四号証)を用いて借用証書を作成し、残金一万円は、河村の訴外松本某に対する売掛金を被告が取立て決済することとしたこと。

九、ところが原告は昭和三四年八月一〇日の十万円の弁済期限に弁済が難しくなり、同月五日被告に対し同年九月末までの弁済の猶予を乞うたので、被告会社では同月二〇日かねて原告から貰つていた委任状等を用いて本件公正証書(甲第三号証)を作成したこと、原告の右買受けにあたり、河村も前記二重譲渡の事実を原告に打ち明けなかつたこと。

を認めることができる。(中略)他に被告主張を認めて右認定を動かすに足る証拠はない。

以上の事実関係において、原被告間の売買当時、本件物権の所有権は、特段の事情なき限り、最初にこれを河村から譲り受け、占有改定による対抗要件を備えた中尾忠孝に帰属すると考えられる。

前記河村と被告との譲渡担保契約につき即時取得の適用ある場合は被告は原告に売却当時右物件の所有者であつたことになる(もつとも、橋本三一の前記二物件の競落につき即時取得の適用ある場合この物件に関する限りその所有権の帰属が更に問題となる。)けれども、被告はこの点について主張立証しない。

よつて判断を進めるに、原告は本件物件が被告に帰属しているものと誤信して右売買をなしたのであるから、その意思表示には要素の錯誤があると主張するので考えるに、売買の目的物の所有権の帰属についての買主の錯誤は民法五六〇条以下の他人の物の売買についての諸規定に照し、同法九五条にいわゆる要素の錯誤に該らないと解すべきであるから、右主張は失当である。

次ぎに民法五六一条の解除の主張について考察するに、叙上の事情は、被告が本件物件の所有権を取得して買主たる原告に移転することの不能な場合に該ると見るべきところ、原告は右理由に基き昭和三四年九月本件売買契約を解除する旨の意思表示をなしたと主張するがこれを認めるに足る証拠はない。しかし、昭和三六年一二月二二日の本件口頭弁論期日において、右理由による契約解除の意思表示をしたことは当裁判所に明らかなところであるから、右売買契約はこれにより失効したものというべく、そうである以上、右契約に基き作成された本件公正証書も無効であるからその執行力は排除されるべく、右売買代金の内金として支払われた金七万円も原告に返還されるべき筋合のものである。

よつて原告の本訴請求をすべて正当として認容し、民訴法第八九条第五六条第五四八条一、二項を適用して主文のように判決する。

山口地方裁判所

裁判官 井野口  勤

目録(省略)

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